そのイニシャルを取ってSSと呼ばれることもある。また、サンデーサイレンスの子孫たちは日本競馬界においての大勢力となるに至り、サンデーサイレンスから伸びるサイアーラインはサンデーサイレンス系とも呼ばれる。
G1競走を6勝し、後に数々の名馬を送り出したサンデーサイレンスの生い立ちは、その活躍ぶりとは対照的なものであった。父が名種牡馬ヘイロー、母ウィッシングウェルも米G2競走の優勝馬という平均以上の血統ではあったものの、生まれたときから脚が外に曲がっているという競走馬としての欠点を持っていた。当歳(0歳)の時には下痢から脱水症状になり生死の境をさまよったことがある。1歳時のセリでは2回も売れ残った。しかも売れ残ったセリの帰りにトラックの運転手が心臓発作を起こしたため馬運車が事故に遭ってしまい、同じ馬運車に乗っていた他の馬がすべて死んだ中でサンデーサイレンスだけが生き残った。2歳時のカリフォルニア州で行われたトレーニングセールでは32,000ドルで一旦は売れたものの生産者のアーサー・ハンコックが買い戻し、彼の所有で競馬に出走することとなった。後に、調教師のチャーリー・ウィッティンガムが半分の権利を取得し、さらにウィッティンガムが取得した権利の半分を医師のアーネスト・ゲイラードが取得した。
引退したサンデーサイレンスだったが、良血とは言い難かったこともありアメリカでは種牡馬として人気が出る見込みが薄かった。そこで、すでに4歳初頭にアーサ−・ハンコックの持つ所有権の半分(全体の25パーセント)を取得していた吉田善哉が1100万ドル(当時の為替レートで約16億5000万円)で購入、100パーセントの権利を取得したため、1990年に日本に輸入された。翌1991年より社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始。自身の血統にノーザンダンサー、ナスルーラといった、日本で流行したことのある血統が入っていない事から、繁殖牝馬の選定の自由度も高く良質の繁殖牝馬に恵まれ、最初の世代から活躍馬を多数輩出し、有馬記念など主要のG1レースでは出場馬の大半がサンデーサイレンスの子や孫が占める事もあった等、日本の血統図を根底から塗り替えた。その後も数々の名馬を競馬場に送り出すが、2002年5月、それまでに怪我をしていた脚をかばったため左前脚蹄葉炎を併発、懸命な治療の甲斐なく8月19日に衰弱性心不全のため死亡した。現役時代は日本で走っていないことから葬儀などは行われず、遺体は社台スタリオンステーションの小高い丘の上に埋葬されている。その産駒は2003年生まれがラストクロップとなった。生前使用していた馬房は、現在ディープインパクトが使用している。
ちなみに繋養先ではメジロマックイーンと仲が良かったらしく、普段は気性の荒いサンデーサイレンスがメジロマックイーンがそばにいるとおとなしくなることが多かったという。そのせいもあってか、サンデーサイレンスとメジロマックイーンが隣同士の放牧地に放牧されていた。
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